写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
|
室島の瀬替え |
むろじま |
新潟/十日町市 |
渋海川 |
瀬替え |
長426m,平均比高9.4m,開発面積15.24ha |
江戸初期 |
|
野口寛人 |
|
渋海川流域に47ヶ所ある水田造成用の瀬替え中で、近世由来のもの/江戸初期で規模が大きい |
|
A |
|
岩瀬の瀬替え1 |
いわせ |
新潟/十日町市 |
渋海川 |
瀬替え |
長478m,平均比高8m,開発面積26.27ha |
江戸初期 |
|
野口寛人 |
|
渋海川流域に47ヶ所ある水田造成用の瀬替え中で、近世由来のもの/江戸初期で規模が大きい |
|
A |
 |
東川の河川隧道 |
ひがし |
新潟/十日町市 |
東川右支 |
素掘トンネル
(河川) |
|
慶応年間
(1865-68) |
|
岩屋隆夫 |
雑草が生い茂り、接近不能(提供された写真撮影時は、接近可能だった)/瀬替えで生み出された水田は、耕作放棄地に |
全国でも最大規模の巨大な河川トンネル/瀬替えによる水田造成を目的に造られたもの |
2 |
 |
|
原の瀬替え1 |
はら |
新潟/長岡市 |
渋海川 |
瀬替え |
長624m,平均比高5m,開発面積11.35ha |
享保年間(1716-35) |
|
野口寛人 |
|
渋海川流域に47ヶ所ある水田造成用の瀬替え中で、近世由来のもの/江戸中期で規模が大きい |
|
B |
|
小栗山の瀬替え |
こぐりやま |
新潟/長岡市 |
渋海川 |
瀬替え |
長682m,平均比高3m,開発面積21.85ha |
享保年間(1716-35) |
|
野口寛人 |
|
渋海川流域に47ヶ所ある水田造成用の瀬替え中で、近世由来のもの/江戸中期で規模が大きい |
|
B |
|
横沢~千谷沢の瀬替え |
よこさわ、ちやざわ |
新潟/長岡市 |
渋海川 |
瀬替え |
長5501m,平均比高4m,開発面積154.98ha |
享保年間(1716-35) |
|
野口寛人 |
|
渋海川流域に47ヶ所ある水田造成用の瀬替え中で、近世由来のもの/江戸中期、かつ、規模が渋海川の瀬替えの中でずば抜けて大きい |
|
A |
|
苔野島の瀬替え |
こけのしま |
新潟/長岡市 |
渋海川 |
瀬替え |
長750m,平均比高8.5m,開発面積32.41ha |
享保20(1735) |
|
野口寛人 |
|
渋海川流域に47ヶ所ある水田造成用の瀬替え中で、近世由来のもの/江戸中期で規模が大きい |
|
B |
|
苔野島の瀬替え |
こけのしま |
新潟/長岡市 |
渋海川 |
瀬替え |
長750m,平均比高8.5m,開発面積32.41ha |
享保20(1735) |
|
野口寛人 |
|
渋海川流域に47ヶ所ある水田造成用の瀬替え中で、近世由来のもの/江戸中期で規模が大きい |
|
B |
 |
相川川の河川隧道1 |
あいかわ |
新潟/長岡市 |
相川川 |
素掘トンネル
(河川) |
|
不明 |
|
岩屋隆夫 |
|
農業用水のトンネルのような形(河川トンネルに見えない)/地滑り対策・瀬変えが理由で開削されたと考えられている |
2 |
B |
 |
相川川の河川隧道2 |
あいかわ |
新潟/長岡市 |
相川川 |
素掘トンネル
(河川) |
|
不明 |
|
岩屋隆夫 |
|
アーチ橋のような形となっていてユニーク/地滑り対策、瀬変えが理由で開削されたと考えられている |
2 |
B |
|
甚平穴 |
じんべい |
千葉/鴨川市 |
小櫃川 |
水路トンネル
(河川) |
高約5m |
天保年間(1830-44) |
|
市教委 |
本流は暗渠化 |
小櫃川上流部で唯一の川廻し/甚平という人物が先頭に立って造っことから命名→「甚平」の人物像は不明 |
2 |
B |
 |
甲坂下の川廻し(伝宝洞) |
かぶとざかした(でんぽう) |
千葉/君津市 |
亀山湖(笹川) |
水路トンネル
(河川) |
長約30m |
万治年間(1660前後) |
|
市教委(君津市史・自然編p432-433) |
舟でしかアクセス不能 |
小櫃川で最初の川廻し/地元・笹の野村藤右衛門が久留里藩主・土屋利直の許可を得て開削/屈曲した川をトンネルでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/大規模/湖の一部(全体が水没) |
3 |
 |
|
桑田の川廻し |
くわた |
千葉/君津市 |
小櫃川 |
瀬替え |
|
延宝7(1679)以前 |
|
市教委(君津市史・自然編p432-433) |
南側の旧河道(水田化)が識別可能 |
久留里藩主が土屋家の時代(~延宝7(1679))に開削/小櫃川最下流の川廻し/屈曲した川を瀬替えでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる |
3 |
B |
|
大録の川廻し |
だいろく |
千葉/君津市 |
小櫃川 |
瀬替え |
|
寛政年間(1790頃) |
|
市教委(君津市史・自然編p432-433) |
旧河道(水田化)が識別可能 |
藤平久左衛門が開削?/屈曲した川を瀬替えでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/大規模 |
2 |
B |
 |
鍋石の川廻し(濃溝滝) |
なべいし
(のうみぞ) |
千葉/君津市 |
笹川
(伝宝洞より上流) |
水路トンネル
(河川) |
|
江戸末期~近代初頭? |
|
市教委(君津市史・自然編p432-433)/岩屋隆夫 |
「渓流広場」として整備・保存されている→間近で見られる唯一の川廻しのトンネル |
屈曲した川をトンネルでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/ショートカット分の高低差が人工トンネル内に「濃溝の滝」と呼ばれる滝を造っている |
1 |
A |
|
大坂の川廻し |
おさか |
千葉/君津市 |
大坂川 |
水路トンネル
(河川) |
2ヶ所 |
江戸~近代?? |
|
WEB |
保存状態良好 |
屈曲した川をトンネルでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる |
1 |
C |
 |
小田代の川廻し
(弘文洞・跡) |
こただい
(こうぶん) |
千葉/(夷隅)大多喜町 |
夕木川 |
切通し(河川)
<河川トンネル> |
|
江戸末期 |
|
岩屋隆夫 |
昭和54(1979)にトンネル上部崩壊 |
屈曲した川をトンネルでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/房総半島で最も有名な川廻し=崩落前は最大級の断面を有する河川トンネルだった |
3 |
A |
|
田代の川廻し(田代滝) |
たしろ
(たしろ) |
千葉/(夷隅)大多喜町 |
西畑川 |
瀬替え:滝 |
高低差9.5m,
幅15m |
江戸末期 |
|
WEB |
保存状態良好 |
屈曲した川を瀬替えでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/瀬替え部の落差に滝 |
1 |
B |
|
|
亀ノ川の直線化 |
かめ |
和歌山/海南市 |
亀ノ川 |
付替え |
長4.2㎞ |
宝永4(1707) |
|
市教委/WEB |
|
大畑才蔵・井沢弥惣兵衛/亀ノ川の蛇行した流路を直線化し、下流域の低湿地の水田化、荒れた砂地と干拓地の開墾を実現した→水の安定供給のため亀池も築造(宝永7) |
3 |
B |
|
 |
六角川の瀬替え |
ろっかく |
佐賀/(杵島)江北町・
白石町 |
六角川 |
瀬替え |
長約800m |
江戸中期以降? |
|
島谷幸宏 |
保存状態良好 |
佐賀藩では最大の瀬替え(農地の創出)/屈曲した旧河道が確認できる |
1 |
B |